とある森の吸血鬼とおばあさんと男の子のお話

  ある月の綺麗な夜のことです。暗くて鬱蒼とした森に、ひとりの女の子が迷い込みました。女の子は、家に帰ろうとしましたが、暗くて道が分かりません。森にひとりぼっちになってしまった女の子は、とうとう座り込んで泣き出してしまいました。

  女の子が行方不明になってから2日後の朝、女の子は家に帰ってきました。しかし、不思議なことに森の中での記憶がないと言うのです。

 


  森にひとりの吸血鬼がいました。美しいその吸血鬼は、人を襲うことができない優しい吸血鬼でした。ある日、その吸血鬼は、森の中に迷い込んだ女の子を助けて森の外に送り届けました。

  女の子は助けてくれたその吸血鬼の名前をどうしても知りたくて、何度も何度も聞きました。最後は吸血鬼の方が根負けして内緒だよ、と言いながら名前を教えてくれました。恩人の名前を心の中で大切にしながら、その女の子は、おばあさんになるまで幸せに暮らしました。

 


  そんなある日のことでした。女の子の住む村に、吸血鬼の噂が流れます。噂の始まりはなんだったのか、それは誰にもわかりません。しかし、その村の家畜は死に、作物は枯れ、死んでしまう人までいました。吸血鬼に怯える彼らに、おばあさんはこの森にいる吸血鬼さんはいい人なんだと、話してしまいました。疑心暗鬼になっていた村のみんなは、おばあさんが吸血鬼と繋がっていたんじゃないかと大激怒します。…ついには、おばあさんを殺してしまったのです。

 


  村にひとりの男の子がいました。その子の両親はお世辞にも良い人たちとは言えず、男の子は辛い生活を送っていました。ある日のこと、男の子は両親に森に捨てられてしまいました。両親は村の人達にたくさん色んなものを借りていたのですが、とうとうどうしようもなくなって、邪魔な男の子を捨てて逃げてしまったのです。男の子はひとりで森の中から抜け出そうと必死で走りました。しかし、非情にも段々と日は沈み、気がついた時にはもう夜になってしまいました。夜になってしまったらもうそこは恐ろしい化け物たちの世界。必死に歩き続けた男の子は、ついに恐ろしい化け物に見つかってしまいます。それは吸血鬼と呼ばれるものでした。男の子は自分の血を吸おうと追いかけてくる吸血鬼から必死になって逃げました。木の根っこに足を取られながら、必死に逃げました。しかし、どれだけ逃げても人間の足では化け物に勝てるはずがありません。男の子はすぐに吸血鬼に捕まってしまいました。恐ろしい化け物に血を吸われようとした男の子は、死を覚悟します。恐怖から目を瞑って震えながらその時を待ったのです。しかし、どれだけ待ってもその時は来ませんでした。それどころか、どこか甘い匂いがします。そっと目を開けると、そこには息絶えた吸血鬼と、もうひとり、綺麗な黄金色の瞳をした吸血鬼がいました。月のあかりに照らされて宝石のように輝くその瞳から目を離せなくなるほどに、その吸血鬼は美しくて、どこか寂しそうでした。その吸血鬼は男の子を襲おうとはせず、村に返すと言ってくれました。名前は?と聞いても吸血鬼は秘密、と言うばかりで教えてくれません。その夜、その吸血鬼の大きな手に引かれるまま、森の中を歩きました。吸血鬼と話すのは今までにないほどに、時間を忘れるほどに楽しくて、男の子が気がついた時にはもう、そこは森の外でした。男の子は振り返って吸血鬼にありがとう、と言おうとしましたが、吸血鬼はもういませんでした。

 


  小さな男の子は、近くの村の優しいおばあさんに引き取られました。男の子がおばあさんに吸血鬼に助けられたという話をすると、おばあさんは目を丸くして嬉しそうに、男の子の話を聞いてくれました。でも、おばあさんは、その話を誰にもしてはいけないよ、と何度も何度も男の子に言い聞かせました。そしてその代わりに、おばあさんも吸血鬼に助けられた時の話をしてくれました。男の子は、何度もねだって、内緒だよ、と言うおばあさんから、その吸血鬼の名前を教えてもらいました。もしかしたら同じ吸血鬼かもしれないね、と優しく笑ってくれるおばあさんと男の子は、少しの間…幸せに暮らしました。

  しかし、そんな日々は終わりを告げます。それはある日のことでした。村に、近くの森に吸血鬼がいるという噂が流れたのです。男の子はあの吸血鬼のことだと思いました。男の子はもしかしたらあの吸血鬼にまた会えるんじゃないかと思って、その噂を教えてくれた村のおじいさんにその吸血鬼に会ったことがある、と話してしまいました。おじいさんはそれを聞くとすぐに村中の家から人を集めました。みんな斧や桑を持って恐ろしい顔をしていました。男の子は怖くなっておばあさんのところに逃げ帰ると、吸血鬼の話をしてしまったことを打ち明けます。するとおばあさんは、悲しそうな顔をして、村のみんなのところに行きました。おばあさんはみんなの前に立つと、森の吸血鬼さんはいい人なんだとみんなに言いました。それを聞いた村のみんなは、激怒しました。この村の若い娘がいなくなってしまったのはその吸血鬼のせいだ。村の家畜が死ぬのは吸血鬼のせいだ。村の……、どう考えても吸血鬼のせいではないような小さなことまで吸血鬼のせいだ、と怒り始めたのです。そして、そんな吸血鬼がいい人だと言っていたおばあさんは、吸血鬼と繋がって村を見殺しにするつもりだったんだと言いがかりをつけられ、ついにおばあさんは殺されてしまいました。男の子はひどく悲しみました。それからその男の子は吸血鬼のことを話すことも、その名前を口にすることもなかったといいます。

 


  あるところに、どんな人間よりも優しくて、誰よりも寂しい黄金色の瞳をした吸血鬼がいました。いつもの様に1人でいた彼の元にある日、晴れた日の青い空を映し取ったような、空色の瞳をしたひとりの吸血鬼が現れました。