「カムパネルラ」×吸血鬼翔透

 カムパネルラを原作『銀河鉄道の夜』とその他もろもろの知識で翔透に合わせて解釈してみましたの会。妄想たっぷりなんで参考までに。

 

この街は 変わり続ける

計らずも 君を残して

 

 この世界は透矢を1人森に残したまま変わり続けてしまう。

 

真昼の海で眠る月光蟲

戻らないあの日に想いを巡らす

オルガンの音色で踊るスタチュー

時間だけ通り過ぎていく

 

 夜には光る存在(月光蟲)も昼間には気づかれないもの。見えないのだから存在しているかすら定かではない、想像の中の存在でしかない吸血鬼になってしまった先輩にはもう、陽の当たる真昼の海を見ることが出来ない。そしてその存在は、誰にも気づかれることはない。

 前述のとおり、月光蟲が真昼の海で見えるわけが無い。逆に言うと、月光蟲は夜にしか見えない。昼に海を見られなくなった先輩が夜に海を見ても、それはもう、人間だった時とは違う、吸血鬼としての目で見た海。戻らない人間だった頃に思いを馳せることしか出来ない。自分が生まれてからの何百年はもう取り返しのつかない事実であって、吸血鬼である自分が生きているってこともまた取り返しのつかない事実でしかない。そんな事実を歩いていくことしかできない。

 『銀河鉄道の夜』のあらすじ紹介。孤独な少年ジョバンニがザネリにいじめられていて、カムパネルラは表立って助けようとはしなかったが、傍観することもいじめることもなかった。俺がお前を助ける!とは言わないが、さりげなく助けてくれる元親友的な。カムパネルラはめっちゃ不思議な雰囲気をまとった優秀で大人びた少年だとでも思え。

 ある日突然、ジョバンニはいつの間にか銀河鉄道に乗り込んでいた。これほんと突然。辺りを見回すとカムパネルラも乗っていて、カムパネルラは「ザネリはもう帰ったよ」、と言う。ジョバンニとカムパネルラはそこから不思議な列車に乗って銀河の海を見ていくことになる。途中で様々な人に会い、話をしていくのだが、何人目だろうか、ずぶぬれになった子どもの姉弟と青年が入ってくる。青年が言うには、氷山にぶつかり乗っていた船が沈み、気が付いたらここにいたそうだ。「本当の神」とは、「本当の幸い」とは、そんな話を彼らとしながらその列車は走り続ける。だが、一人、一人と乗客は去っていき、最後はまた、カムパネルラと二人きりになった。「ほんとうのさいわい」を探しにどこまでも一緒に行こう、この銀河鉄道で二人で。ジョバンニはどこかに不安を覚えながらカムパネルラにそう言った。しかし、「僕もう行かなくちゃ。」カムパネルラは立ち上がってジョバンニを拒絶した。ジョバンニはいやだと縋るが、カムパネルラはそのきれいな顔のまま、どこか悲しそうな顔でジョバンニを見つめるだけだった。かなりしばらくしてジョバンニは掴んでいたその手をそっと放す。カムパネルラは、それが幸いだとでも言わんばかりにジョバンニに微笑むと、「じゃあ、僕はもう行くね」と言うとそこから消えてしまった。涙があふれてきたところで、目が覚める。今までのことは夢だったのだろうか、そんなことを考えながら、元の目的だった牛乳をもらいに歩いていると、川の方から話し声が聞こえる。「カムパネルラがザネリをかばって川に落ちたんだ」「まだ見つからない。もうずっと探してるんだけど」「もう駄目です。45分経ちましたから」それを聞いたジョバンニは、「僕、早く帰らなくちゃ」と言って母親の待つ家に帰る。以上。

 ここで「カムパネルラ」について紹介。カムパネルラは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の登場人物。この曲自体も『銀河鉄道の夜』、そして作中で死んでしまうカムパネルラがモチーフになっている。→ざっくり言うと、「川に落ちたザネリを助けようとしたカムパネルラが亡くなってしまうという出来事が起きる。つまり、ザネリがカムパネルラの死の直接的な原因となったのだ。」ということがテーマらしい。

 銀河鉄道とは、死んだ人しか乗れない列車だったんだね。そこに迷い込んだジョバンニは、様々な体験を通してカムパネルラという友人の死を乗り越えていくって話。たとえ死んでも一人にはなれない。その人の思い出とともに生きていかなくちゃいけない。

 この曲は米津さん曰くザネリの視点で描かれているらしい。なんか妹は自分のせいで死んだんだって思い込んでる先輩がいそうだなって思った。

 

あの人の言う通り わたしの手は汚れてゆくのでしょう

追い風に翻り わたしはまだ生きてゆくでしょう

終わる日まで寄り添うように

君を憶えていたい

 

 あの人ってのに特定の人はいないと思う。ただ、誰かが言っているのを聞いたのかもしれないし、助けようとしたのに呪詛みたいな言葉を言われたのかもしれない。もしかしたらそれは、人間だった頃の先輩なのかもしれないし、自分を嫌う先輩自身なのかもしれない。ただ、自分の中にいる誰かが、お前の手は汚れていくことしかできない、もう取り返しがつかないんだって、責めてくる。吸血鬼である自分は存在しているだけで罪だ。生きているだけでこの手は汚れていく。でも、死ぬことだってできやしない(妹の関係があるんでしょうね)。ただただ、この世界に縋って生きてしまっている。何百年も生きていたらもう、妹の声も話し方も、どんな顔だったのかも、忘れたくなんてないのに、思い出せなくなってしまう。だからせめて、死ねる日まで君(妹)がいたということを忘れないようにしたい。

 

カムパネルラ そこは豊かか

君の目が 眩むくらいに

タールの上で 陽炎が揺れる

爆ぜるような 夏の灯火

 

 ここはカムパネルラが自分をかばって死んだことを自覚したザネリが、天国にいるカムパネルラを思い浮かべるシーン。同じように先輩は、妹が天国で幸せだろうか…と考えている気がする。

    タール(=石炭袋)の上で陽炎が揺れる→列車の動力機関。「陽炎」、「爆ぜるような夏の灯火」という描写から、これはおそらく蠍座(夏の星座のアンタレスのことね)の神話の話だと思う。物語の中で、あらすじで登場した子どもの一人が、サソリとイタチの話をするんですよ。

「小さな虫などを食べて生きてきたさそりが、ある日いたちに食べられそうになった。逃げようとして井戸に落ち溺れる。そして、”自分の命をいたちにくれてやったら、いたちは一日生き延びられたのに”、と悔い、神さまに”次はみんなの幸(さいわい)のために自分の命をお使いください”というようなことを祈る。そうして、さそりは自らの身体を真っ赤な美しい火になって燃やして、夜の闇を照らしている」ばいwiki

 そんな自己犠牲の固まりみたいなサソリの話。自分がこうしてやれたら妹は助かったのに……って悔いて、自分の命をかけてでも人間も吸血鬼もみんなを守って助けようと身を削ってる先輩ぽいなと思った。

 

真白な鳥と歌う針葉樹

見つめる全てが面影になる

波打ち際にボタンが一つ

君がくれた寂しさよ

 

 見つめる全てに誰かを思い出す。何を見ても妹だけでなく、これまでに救えなかった人達の面影が忘れられない。

 「波打ち際にボタンが一つ」ってのは中原中也が歌った詩の一説で、その詩の内容は我が子の死を追悼したもの。月夜の晩に浜辺で拾ったボタンが、もう何にも繋ぎあわせられない、そもそも何にも繋がっていないたった一つの孤独なモノだった、そんな意味で読むとエモい詩。先輩に照らし合わせると、それが妹との思い出のものや遺品なのか、何なのかは分からないけど、懐に1つ、何に使えるともわからないまま、ずっと取っておいてしまっている。それを見るたびに自分が誰かとつながることなんて出来やしないんだと、寂しさを感じるんですね。

 誰かの死の直接的な原因となってしまったのが自分なのかもしれないし、自分じゃないのかもしれない。そんな罪の意識を抱いているって感じがする。自分が誰とも繋がれない吸血鬼という存在で、吸血鬼としても吸血鬼と繋がることも出来ない、そんな意味に捉えたい。

 

あの人の言う通り いつになれど癒えない傷があるでしょう

黄昏を振り返り その度 過ちを知るでしょう

 

 同じくあの人ってのに特定の人はいません。いつになっても忘れられなくて癒えない傷がある。そして、辛かったこと、痛かったことは思い出せても、幸せな記憶は簡単に零れ落ちていってしまう。

    黄昏=誰そ彼(誰ですかあなたは)。魔の時間とも呼ばれる黄昏時、その意味は自分が何者かを問う語源から来ている。自分が何者なのか、それを自分に問えば問うほど、それが取り返しがつかない事実だと認めるしかなくて、より一層自分を傷つけてしまう。

 

君がいない日々は続く

しじまの中 独り

 

しじま…静まり返って、物音が全くしないさま

 周りに誰もいない一人ぼっちな日々が続く。おそらく一人ぼっちになってしまうのは吸血鬼ならだれもが経験すること。でも、そんな一人ぼっちの静寂のそのさらに中で、先輩は独り。もう心の中に彼の気持ちを明るくさせてくれるものは何一つない状態なんだと思う。

 

 歌詞ほんとはまだ続くんだけど、この後は自分自身の力で、取り返しのつかない事実を見つめ直して輝きを放っていく、つまり、死を克服するのでちょっと解釈に合わないんで省略。夜の海辺で月光蟲と月のあかりに照らされながら1人、何にも使えないボタンを月明かりに照らしてる先輩を想像して私の頭の中はFinした。ということでここで少しだけ希望を残して終わろう!実はわざと最初の二行の解釈だけすっ飛ばしてたんで最初に戻りましょうね~。

 

カムパネルラ 夢を見ていた

君のあとに 咲いたリンドウの花

 

 リンドウはとてもとても苦い花。そして花言葉は、「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」「誠実」。おそらく先輩はずっと苦しみながら吸血鬼である自分という罪の意識に苛まれていたけれどいつか翔湊に会う。でも、翔湊は人間だったのに吸血鬼になってしまっていて。それは先輩にとって悲しくてとても苦いこと。いっそ自分に近づいて欲しくないと思うでしょうね。でも、その翔湊は悲しんでいる先輩を愛してくれる。その愛に触れて先輩がどう変わっていくのか、アイネクライネの解釈に託しましょう。

 ちなみに、このリンドウの花、銀河鉄道から見えるお花でして、北十字とプリオシン海岸というところを通る時に見えるんだ。そこでカムパネルラは突然、母親が自分を許してくれるか心配しだす。何で許されないって思ったんだろうね、置いて行っちゃったからかもね。まあ、そんな感じで先輩も翔湊に手を伸ばそうとして、そんなことして、本当に許されるんだろうか…って苦しんでほしいね!

 

 では以上です。戯言と妄想たっぷりの解釈なんで参考程度に…。